我輩は社会人4年目である。アイデンティティはまだない。

思ったこと書きます。内容も更新も気分次第です。

「嫌い」よりは「苦手」が「好き」

 

 

 

「ん?ああ,俺あいつのこと嫌いやし」

「あの人マジで受け付けない。嫌い

 

こういうのよく聞くけども…。

もうちょっと他に言い方ないんかなと。

 

 

僕は「嫌い」という言葉が「嫌い」です。

 

別に使うなとは言いません。

納豆が嫌い,そりゃ好き嫌いもあるでしょう。

注射が嫌い,別にありふれたことでしょう。

 

 

特に悲しい気分になるのは,

人に対して使うとき。

 

「嫌い」という強烈な単語。

そのにじみ出る全否定感。

こちらには原因はないです感。

 

 

人と人は〜〜〜〜

みたいな話がありますが,

人ってお互いに影響し合って

生きているわけです。

 

得意不得意があるし,

それぞれの価値観があるし,

性格や個性も皆異なっています。

 

相性が合う人,合わない人がいて当然です。

でも,相性が合わない人がいたとき

それは100%相手の責任ですか?

あなたには何の原因も落ち度もないと

言い切れるのですか?

 

 

繰り返しになりますが,

「嫌い」っていう言葉は

ものすごく自分本位に聞こえます。

自分は悪くない,お前が間違っている,

譲る気はない,許す気もない,……。

 

あなたは完璧な人間なのですか?

2016年の日本において,

PERFECT な HUMAN は NAKATA しかいないはずです。

 

 

日本語は美しいとよく言われますよね。

微妙なニュアンスを表現したり,

建前を使ったりすることが得意な言語のはずです。

そこで探してみました。

 

苦手

 

これを「嫌い」と置き換えたら

だいぶマシな表現になると思います。 

 

「ん?ああ,俺あいつのこと嫌いやし

「あの人マジで受け付けない。嫌い

      ↓

「ん?ああ,俺あいつのこと実は苦手で…

「あの人正直受け付けないんよ。苦手なタイプで

 

だいぶ柔らかくなりました。

「嫌い」が持っていたトゲトゲを丸く削ったイメージ。

必然的に周囲の言葉のチョイスも変わります。

 

「苦手」には,謙虚さを感じます。

あくまでも相手との相互作用であって,

自分とは合わないけど相手のせいじゃない。

 

直す前と比べると,こっちの方が

聞いている側の気分も多少は軽い。

 

 

あえて攻撃的な言葉を使うメリットが

僕には理解できません。

 

その人のことが気に入らないから,

トゲでもって応戦しているのでしょうか。

 

大げさな話,戦争や紛争がなくならないのも

同じ仕組みなんじゃないかと思うんです。

 

イエスは,民族や自分を好んでくれるか否かに関わらず

すべての人を隣人として愛せと説きました。

 

ちょっと話がでかくなりましたが,

平気で人のことを嫌いと言えちゃうことって

少し危ない気がする。

今回一番訴えたかったことです。

 

 

でもやっぱりこの人はちょっと…

という人はいると思います。

それは仕方のないことでしょう。

 

そんな時に自分からは悪口は言わずに,

「あの人どう思う?」と聞かれたら

「ちょっと苦手かな。」でやり過ごす。

 

そのぐらいがちょうどいいと思います。

無駄にトガっててもダサいし。

八方美人のやり過ぎも疲れるし。

 

 

 

まとめ

 

 

すぐに人を「嫌い」っていう人,

僕は「苦手」だな。