「嫌い」よりは「苦手」が「好き」
「ん?ああ,俺あいつのこと嫌いやし」
「あの人マジで受け付けない。嫌い」
こういうのよく聞くけども…。
もうちょっと他に言い方ないんかなと。
僕は「嫌い」という言葉が「嫌い」です。
別に使うなとは言いません。
納豆が嫌い,そりゃ好き嫌いもあるでしょう。
注射が嫌い,別にありふれたことでしょう。
特に悲しい気分になるのは,
人に対して使うとき。
「嫌い」という強烈な単語。
そのにじみ出る全否定感。
こちらには原因はないです感。
人と人は〜〜〜〜
みたいな話がありますが,
人ってお互いに影響し合って
生きているわけです。
得意不得意があるし,
それぞれの価値観があるし,
性格や個性も皆異なっています。
相性が合う人,合わない人がいて当然です。
でも,相性が合わない人がいたとき
それは100%相手の責任ですか?
あなたには何の原因も落ち度もないと
言い切れるのですか?
繰り返しになりますが,
「嫌い」っていう言葉は
ものすごく自分本位に聞こえます。
自分は悪くない,お前が間違っている,
譲る気はない,許す気もない,……。
あなたは完璧な人間なのですか?
2016年の日本において,
PERFECT な HUMAN は NAKATA しかいないはずです。
日本語は美しいとよく言われますよね。
微妙なニュアンスを表現したり,
建前を使ったりすることが得意な言語のはずです。
そこで探してみました。
「苦手」
これを「嫌い」と置き換えたら
だいぶマシな表現になると思います。
「ん?ああ,俺あいつのこと嫌いやし」
「あの人マジで受け付けない。嫌い」
↓
「ん?ああ,俺あいつのこと実は苦手で…」
「あの人正直受け付けないんよ。苦手なタイプで」
だいぶ柔らかくなりました。
「嫌い」が持っていたトゲトゲを丸く削ったイメージ。
必然的に周囲の言葉のチョイスも変わります。
「苦手」には,謙虚さを感じます。
あくまでも相手との相互作用であって,
自分とは合わないけど相手のせいじゃない。
直す前と比べると,こっちの方が
聞いている側の気分も多少は軽い。
あえて攻撃的な言葉を使うメリットが
僕には理解できません。
その人のことが気に入らないから,
トゲでもって応戦しているのでしょうか。
大げさな話,戦争や紛争がなくならないのも
同じ仕組みなんじゃないかと思うんです。
イエスは,民族や自分を好んでくれるか否かに関わらず
すべての人を隣人として愛せと説きました。
ちょっと話がでかくなりましたが,
平気で人のことを嫌いと言えちゃうことって
少し危ない気がする。
今回一番訴えたかったことです。
でもやっぱりこの人はちょっと…
という人はいると思います。
それは仕方のないことでしょう。
そんな時に自分からは悪口は言わずに,
「あの人どう思う?」と聞かれたら
「ちょっと苦手かな。」でやり過ごす。
そのぐらいがちょうどいいと思います。
無駄にトガっててもダサいし。
八方美人のやり過ぎも疲れるし。
まとめ
すぐに人を「嫌い」っていう人,
僕は「苦手」だな。