我輩は社会人4年目である。アイデンティティはまだない。

思ったこと書きます。内容も更新も気分次第です。

たたかずに,たたかおう。

たたかずに,たたかおう。

敵でないものをたたかずに,敵とたたかおう。

 

 

はじめに

緊急事態宣言も延長され,もはや生活に変化が出ていない方はいないのではないでしょうか。中にはご家族や知人を亡くされた方,仕事を失った方などもいらっしゃるかと思います。まずは,とんでもない不幸に見舞われながらも今を生きておられる皆様に敬意を表します。

筆者は,人々が出口の見えない恐怖やストレスに押しつぶされ,世の中が混沌に向かいつつあるような気がしていて,そのことを心配しています。特に気になるのは感染者やその他様々な人に向けられる非難の声や暴言です。SNS等では,ただでさえ病気で苦しんでいる人や,事情を理解してもらえていない人に対しても,容赦ない罵声が浴びせられています。

コロナ影響 相次ぐ悪質投稿 "差別生じさせる許されない行為"

私は今回「公衆精神衛生」という言葉を用います。これは公衆衛生と精神衛生を組み合わせて勝手に作った造語です。ネット上を含む公共の場で心がざわつく情報や気が滅入る情報が入ってくるような状況を指して,公衆精神衛生に悪いと表現します。このトピックは十分社会問題であると考えます。例えば医療従事者及びその家族への差別・偏見は大きな問題ですが,公衆精神衛生が良くない状態はこのような差別・偏見を助長する恐れがあるでしょう。そこで私から発信したいことは以下の通りです。

  • 目的を見失わないようにしましょう。
  • たたかずに,たたかおう。

 

ということで,目的とは何かから始めたいと思います。
あなた個人の目的は一度脇において考えていただけるとありがたいです。
多岐に渡りすぎるので。
店の営業を再開すること,学校に行くこと,仕事の休みをとること,帰省すること,ずっと家にいて目障りなパートナーとの関係を終わらせること,扇情的で偏りがちなマスメディアの報道に終止符を打つこと。。。

今の目的は,社会全体の目的は,新型コロナウイルスによる感染拡大を終息させ,このウイルスが登場する前の社会生活に戻すことだと思っています。これが達成されれば,上のような各個人の目的は達成されるか達成する必要がなくなるはずだからです。少なくとも国や自治体はこの方針で動いていて,国民もそこについて行っていると思います。 

何かあればこの目的に立ち戻りましょう。
そしてここからは,「たたかずに,たたかおう」について考えていきます。

 

敵はわかっている

冒頭に「敵」という言葉を出しましたが,結論からいうと敵は新型コロナウイルスです。今回のキーワードになるので,敵を定義しましょう。

敵="あなたやあなたの周りの人々の暮らしを良くするためにいなくならなければならない存在"  です。

敵は,感染者ではないです。

敵は,政治家でもないです。

敵は,休業要請に従わず営業しているパチンコ屋でも,そこに並んでいる客でも,感染の疑いがあるのに県をまたいで移動する人でもないです。

敵は,そのような人に罵声を浴びせる人でも,自粛要請を守らない人には何をしても良いと考えている人でもないです。

今出てきた人々は,直接的にあなたに害を及ぼしません。当然めぐりめぐってあなたやあなたの周りの人々の暮らしを壊すリスクはあります。しかし,彼らがいなくなってもコロナウイルスはいなくなりません。というよりもいなくなったかどうかがわかりません。どこまでいっても,本質的に敵とみなすべきはコロナウイルス自体であり,それだけです。

そして重要なことは,誰しも敵が新型コロナウイルスであることなんてハナからわかりきっている,ということです。

 

敵を作るヒト

ではなぜ,特にSNS上では様々な人への罵詈雑言が飛び交い,公衆精神衛生上よくない状況が生まれているのでしょうか。

それは,ヒトが簡単に敵を作り出す生き物だからです。少し皮肉の効いた言い方をすれば,敵であると認識しなくても問題ない存在を敵であると思い込む能力が非常に高いということです。

ここで気をつけていただきたいのは,ちょうど良い言葉が思いつかなかったので思い込むと表現したのですが,多くの場合はある対象を敵と認識していることについて本人は無意識・無自覚であり,悪気はありません。どういうことでしょうか。ヒトという生物について少し考えてみます。

ちなみに,ここでヒトとカタカナを用いているのは,文化的な人ではなく生物種としてのヒトに注目した考え方を述べるからです。

 

ヒトの歴史は戦争の歴史と言っても過言ではないと思います。日本史や世界史の数千年を振り返っただけでも,覚えきれないほどの数の戦争が登場しましたよね。これだけ同種の他個体を殺害する動物,それも集団と集団で殺し合いをする動物はレアだと言われています。ヒトの歴史はホモ・サピエンスに限っても約20万年,アウストラロピテクスまで含めると約400万年とされています(諸説あります)。そして,ヒト同士が集団に分かれて行う戦争においては,以下のようなポイントがあります。

①居住地や血縁関係にしたがって,ある程度 (遺伝子的に) 均質な集団でチームが構成されている場合がほとんどであろうと考えられます。
②勝つためには結束力が必要です。仲間を裏切るメンバーや,自分のことしか考えず秩序を乱すメンバーがいるとチームワークが発揮できず,勝率が下がります。(※そのようなメンバーに罰を与えることで社会性が発達したという考え方もあります)
③負けた方のチームは子孫を残すことができないか,残せたとしても非常に数が少なくなり,遺伝子情報が後世に伝わりません。

壮大な話になりましたが,何が言いたいかといえば,現在地球上に存在している私たちは,絶え間ないヒト同士の争いにことごとく勝利してきた集団の子孫なのです。つまり,仲間と敵をはっきりと分け,仲間に忠誠を尽くし,敵に対して拒否的あるいは攻撃的な行動をとり,さらに仲間であるはずにもかかわらず団結の邪魔をする相手をとことん糾弾することが「できた」集団の特徴を備えている生き物なのです。逆に言えば,知らない人 (≒病気をうつしてきそうな人) や生活域の秩序を乱す人 (≒自粛を守らない人) に対して寛容だったヒトや集団は,現代に来るまでの長い歴史の中で敗者となり死に絶えているのです。なお,「できた」と書いたのは,それらの能力の副作用として,現在公衆精神衛生問題が発生していると考えているためです。

 

さて,私たちは自覚しなければなりません。程度の差こそあれ,私たちは敵を作り出すことや敵を攻撃することを生き残るための仕組みとしてプログラミングされ,現代に生まれ落ちてきたのです。もっと平たく言えば,私たちは他人に厳しいのです。そして厄介なことに,このような歴史から私たちが敵視することを特に得意とする相手は「人間」です。

そのようにして,感染者をたたき,マスクをしない人をたたき,休業要請を守らない施設 (の経営者) をたたき,旅行や帰省をする人をたたき,不謹慎な発言をする人をたたきます。さらにいえば,このような人をたたいている人をたたきます。SNS等で文字で行われている様子だけ見ても過激だなと感じる方がいると思いますが,これはまさに人類の得意技である戦争のレプリカです。

私は,ルールを守らない人や頑張っている人のモチベーションを下げる行動をとる人を擁護したいのではありません。私も彼らに対して良い印象は持ちません。

そうではなく,目的を思い出しましょう,たたく行動は目的の達成に向けて逆効果ではないですか?と問いかけたいのです。目的は,コロナの終息でしたね。

たたくと何が起きるでしょうか。感染者をたたくと,感染リスクは高まります。長くなるので詳細を知りたい方は下記リンクをご参照いただければと思いますが,たたかれると分かっていたら,感染を隠したり,感染前の行動について虚偽の報告をしてルートが見えなくなったりするためです。

なぜ、感染した人を非難してはいけないか?人間行動の法則から解説する|松田壮一郎|note

その他の様々な人をたたく場合はどうでしょうか。単純に人々を問題の本質から遠ざけます。感情に振り回されて,建設的な策を考えられなくなっていては問題解決には至りません。「自分は自粛しているのにあの人はやってない」と100回言うよりも,その人が自粛しない/できない理由を1回尋ねて何ができるか一緒に考えた方が建設的です。

(宣伝…!私が過去に書いた記事です 「『無人島に何を持っていくべきか』を話し合う会議」に何を持っていくべきか - 我輩は新卒社会人である。アイデンティティはまだない。)

たたくことのメリットがあるとすればその人の憂さ晴らしにつながることでしょうが,デメリットとしてたたかれた人の人権が損なわれたり,公衆精神衛生が害されたりします。それらの積み重ねにより,ウイルスだけでなく差別・偏見が蔓延してしまいます。

つまり,どんな対象をたたくにしても,その行為は我々が新型コロナウイルスに勝利する時機を遅らせているのです。

 

敵を作らないようにするには

個人レベルの取り組みと,社会レベルの取り組みが考えられると思います。

個人レベルの取り組みに関しては,とにもかくにも自覚することが大事でしょう。私たちは敵を作り出すことに長けていて,油断すると誰かを攻撃してしまう性質を持っているのだと。人類史の項では集団同士の戦争を取り上げましたが,現実には個人対個人や個人対集団,集団対個人の構造もありますし,SNSでは敵対関係でなく一方的な攻撃も散見されます。いずれにせよ,自分が加害者となり得ることを意識する必要があるでしょう。

社会レベルでは,国民の共通敵が新型コロナウイルスであることを強調したメッセージを出すことが求められるでしょう。政府やマスコミにはこれをやってもらえないかと思っています。国民は立場や背景が違いすぎるため,争うかどうかは別にしても多くのサブグループがすでに存在することは事実です。例えば収入の多い人と少ない人とでは10万円給付の重みが違いますし,重症化リスクが高い人と低い人とでは使用可能なICUの数を気にかける程度が異なるでしょう。私が特に不毛だと感じるのは年齢によるグルーピングです。若者が夜に外を出歩いて撒き散らしていると言ったり,はたまたお年寄りが日中に商店街で密を作っていると言ったり。自身が属さない分類の人々に責任を押し付けあっている間,ウイルスは蚊帳の外です。蚊帳の外なのに我々の体内に居続けているんですよ,なんという皮肉でしょうか。

 

たたかずに,たたかおう

敵でないものをたたかずに,敵とたたかおう。

感染者や気に食わない行動をとる人をたたかずに,ウイルスとたたかおう。

 

今回問いかけたかったことは,コロナへの恐怖や生活上の不満から,注意を向けるべき方向がずれていませんか,ということでした。私たちはイチ生物ですから,持って生まれた性質には逆らえず,上手に付き合っていかなければなりません。とりわけ,今のように脅威が大きい状況は,目に入りやすくて感情を動かされやすい情報に対して人を敏感にさせるものです。すなわち,理解できない人が普段以上に敵に見えやすく,ストレスを発散するためにその敵に見えた人を攻撃するというのは,ある意味自然なわけです。にんげんだもの,といったニュアンスでしょうか。しかし私たちには,その傾向を理解した上で,さらに先のステップに進むことが求められているのです。


今更にはなりますが,1億人以上が生活している日本の中で,大多数の人は「たたく」行動をしていないと思います。たたかずに,たたかっておられると思います。自分にできることを考え,最大限実行し,他の人の行動には口出ししないように気をつけていらっしゃると思います。それは素晴らしいことです。一方で,ネットやマスコミの恐ろしいところは,情報の持つ影響力が凄まじいところです。私は,公衆精神衛生上好ましくない情報が大多数の健全な人々に届き,彼らを蝕んだり,少数派に引きずり込んだりすることを危惧しています。この観点から,ターゲットとなる方があまり多くないとしても,このようなメッセージには意味があるのではないかと考えています。

 

では,要点をまとめて終わりにしたいと思います。

  • 見失ってはいけないのは,コロナを終息させるという大きな目的である。
  • 敵は,新型コロナウイルスそれだけである。
  • 私たちは,敵を作り出し,攻撃する性質を持った生き物である。
  • 一部の人を敵とみなして攻撃することは,目的から見ると逆効果である。
  • 敵を作らないためには,自身が敵を作りがちな生物であると自覚することと,属性にかかわらず新型コロナウイルスが共通敵であることを社会全体で共有することが重要である。

以上が要点です。皆さんとも考えや感想をシェアできると幸いです。

 

注) この文章は私の浅学な知識に基づいて書かれており,科学的根拠を担保するものではありません。そのため,訂正や補足を大いに歓迎いたします。

 

STAY HOMEを発信に使うというのは悪くないですね。

最後までお読みいただきありがとうございました。