我輩は社会人4年目である。アイデンティティはまだない。

思ったこと書きます。内容も更新も気分次第です。

「『無人島に何を持っていくべきか』を話し合う会議」に何を持っていくべきか

 いきなりですが想像してみてください。あなたは明日,「無人島に何か1つだけ持っていけるとしたら何を持っていくべきか」を話し合う会議に出席することになっています。あなたがその会議に持っていくべきものは何でしょうか。カバンとか飲み物とかそういうもの以外に,マストで持っていかないといけないものが2つあると私は考えています。

 1つ目は,皆さんのほとんどが無意識のうちに用意して,しっかりと抱えて出かけるはずです。ところが,2つ目に関しては持っていくべきだということに気づいている人はあまりいませんし,気づいている人も多くは道中で落としてしまったり会議中に放り投げてしまうように思えます。この2つの持ち物は,生産的・効率的に会議を進める上で必要不可欠であるというのが私の意見です。

 

 回りくどく書いてもしょうがないので,私が思う正解をお伝えします。1つ目の持ち物は「自分の意見」です。この場合は,例えば「ナイフ」です。そして2つ目の持ち物は「自分の意見が正しいとは限らないという考え」です。この場合は,例えば「実はナイフよりももっと必要なものがあるかもしれないという考え」ということになります。

 

 あなたは会議室に到着しました。2つの持ち物をしっかりと持って。さあ会議が始まりました。出席者4名それぞれが1つ目の持ち物をメンバーに披露します。「ライター」「水」「本」...。あなたは「ナイフ」を提案しました。出席者は1つ目の持ち物を用意した理由を紹介します。ライターの人は,火を起こせないようでは暖も取れないし,加熱せずに食べられるものは多くないと主張します。水の人は,飲み水は無人島にないので活動の資本を用意しないと元も子もないと言います。本の人は,もう無人島に流される時点で生き延びるのは不可能だ,なら最後は大好きな本を読んで死にたいと述べます。あなたはナイフがあれば物を作ることもできるし,外敵から身を守ることもできると言いました。まずは全員が1つ目の持ち物をきっちりと披露し終えました。

 会議は順調に進んでいるように思われましたが,あなたはここで異変に気づきます。他の出席者は誰も,2つ目の持ち物を持ってきていませんでした。つまり,みんな自分の意見こそが絶対に正しいと考えているのです。さて何が起こるでしょうか。

 

 ライターの人があなたに言います。「獣をナイフで仕留めたところで,火を通せないのではそれは食べられないからむしろ生ゴミになってしまいませんか」あなたはライターの人に返します。「その通りです。ただしその獣に襲われて死んでしまったら,と考えると自身を守る方が優先されるのかなと思いました」…あなたは他人の意見を受け入れつつ話し合うことを心がけています。ライターの人は反論します。「大きな獣に襲われるという状況を仮定すると,ナイフ一本では太刀打ちできないと思うので武器としてナイフを持っていくのは無意味ではないでしょうか」あなたは「確かに襲ってきた相手が大きい場合は厳しいです。逆に小さい相手や鈍い相手ならナイフは役に立ちます。その場合でもライターでやっつけることは難しいので,ナイフが無意味というわけではないと思います」と返答しました。ライターの人は自分の意見が通らないことにイライラし始めます。

 「私はライターを武器として持っていくとは言っていない。論点をすり替えるな」「あくまでも外敵に遭遇した場面のみを想像してナイフとライターの使い勝手を比較しただけですよ」「無人島に外敵がいるかもわかってないのになんで当然出くわすみたいに喋るんだ,前提を見直してきてくれ」

 

 ライターの人が文字通り着火してしまったので,水の人と本の人は話す機会を失っていました。水の人が話せなかった鬱憤を晴らすように煽ります。「ほら,無人島に何かいるとしたらあなたのような野蛮な生物ですよ,だからまずは私が持って行った水で鎮火しないとね。笑」今度は本の人が水の人にふっかけます。「どうせ死ぬ運命なのにまだ争う体力と精神力があるなんて羨ましい。私は本を読んで,疲れたらそのまま眠るように息を引き取りますので。もう話し合いは結構かな」

 

 あなたは呆れて言葉も出ません。ライター,水,本を提案した出席者は,自分が正しくないかもしれないとは夢にも思っていないので,他の人の意見を尊重しないばかりか,言葉尻を捉えて笑い者にすることに夢中です。水の人が本の人を攻撃します。「無人島と聞いて諦めるようなやつはいらねえ。やっぱりゆとり世代は根性がないからだめだ」どうやら本の人はゆとり世代らしいです。でもそのことと今回の議題には何の関係もないことは明らかです。ライターの人も乗っかります。「本の君,この会議は無人島で生き延びることを前提としているんだ。わかるかね。私たちに喧嘩を売っているのかい?」ライターの人は前提が大好きなようですが,この会議では外敵に関する前提も生き延びることに関する前提も設定されていません。だからこの人の指摘は的外れです。あなたは発言を控えて会議を見守っているうちに,出席者の非生産的な部分に気づいてしまっていたことを自覚しました。

 

 会議はもはやカオスです。本の人「確かにあなたはライターを持っているので,私にムカついたら本を燃やせますもんね。笑」ライターの人「だから無人島で2人一緒にならない前提だろ!」水の人「火も消せるし,本も濡らしてダメにできるし,結果水が最強じゃないですか?」結局,会議は何の合意もないままにタイムアップを迎え,それどころか出席者たちは終了直後から一切口をきかずに足早に帰っていきました。

 

 …

 

 ここまで読んでくださった方,ありがとうございます。長々と架空のストーリーにお付き合いいただきましたが,現実の私たちも多くの場合はこのようになっているのではないでしょうか。

 

 自分の意見が正しいという思い込みはとても危険です。とはいえ,自分の意見を誰も持ってこなかったら話し合いが始められません。だから自分の意見はマストの持ち物の1つなのであり,そのことは特に指示されなくても出席者に十分共有されています。そのため,参加する気のある出席者は自分の意見をほぼ持参します。

 

 一方で,その結果1つの議題に対して複数の (魅力的な) 解が持ち寄られるという当然の状況についてはあまり考慮されていないように感じます。同じ人間が考えてくる案なのだから,自分のものよりも革新的なものや深い洞察に基づいているものがあっても何も不思議ではないのです。我々は,ここまで考えが及ばないか,及んでもそれを認めたくないためこの考えを破棄しがちであると思います。

 

 集団で会議をするのなら,その目標は集団として最善の解決策を見出すことであり,自分の意見を1から100まで通すことではありません。「ライター!ライター!それにつけても無人島はライター!」では会議とは言えません。「ライターも水も確かに重要だね,こすって火も起こせるけど絞って水分も取れるような植物はないのかな」というように,せっかく多様な意見が集まっているのならそれらを尊重してあわよくば統合してやろう,という気概を共有して会議が行われれば,その会議はより生産的なものになるのではないかと私は考えます。

 

 

 すでに述べてきた通り,誰にとっても会議では自分の意見が正しい (ことになっている / している) ため,自己の正当性を主張するのに必死になることは無理もないでしょう。せっかくなので,今回登場した厄介な出席者をタイプ別にみておきます。どの出席者も我々が陥りやすい醜態を象徴していると思います。

 

ライターの人タイプ:主観の押し付け

 本人の中にある前提が主観的であり他者に共有されているとは限らない,という視点が完全に抜け落ちており,他者がその前提に合わないことを言うと主観を押し付けてきます。無人島の会議では,外敵の存在に関する前提もなければ,生き延びる義務の前提もありませんでした。ライターの人は勝手に「無人島では完全に孤独で,でも生き延びなければならない」と思い込んでいたに過ぎないのですが,その感覚は普遍的だと信じているため,譲歩や再考といった選択肢はありません。重症の場合には,豪快なダブルスタンダードを披露することもあります。

 

水の人タイプ:人格攻撃

 自分の意見が正しいという思い込みは,言い換えれば他者の意見は大したことないという思い込みです。「他者の意見軽視」はいとも簡単に「他者そのもの軽視」に結びついてしまいます。この他者そのもの軽視は重い病であり,「他者の意見に対する批判」とは質の異なる「他者そのものに対する否定」という症状をみせます。会議で水の人は,ライターの人の意見ではなく,ライターの人そのものを「野蛮な生物」と揶揄し,本の人の意見ではなく,本の人そのもの (ゆとり世代であるという本人の意思でどうにもならない背景) を否定していました。

 

本の人タイプ:本質を逸脱した皮肉屋

 会議の中で本の人は「どうせ死ぬ運命なのにまだ争う体力と精神力があるなんて羨ましい」「確かにあなたはライターを持っているので,私にムカついたら本を燃やせますもんね。笑」と言っていましたが,これらの発言は明らかに本質的な議題から外れています。このタイプの人は往々にして「喧嘩みたいな会議しかできない皆さんと違って,私には高いところから全体が見えていますよ」とでも言いたげですが,実際にはこの手の発言は最も派手に会議をレールから脱線させます。皮肉によって出席者の感情を煽るからです。このタイプの患者は感情的になった参加者を見てまた優越感に浸るため,会議が負のスパイラルに陥りやすく,たちが悪いです。

 

 

 上に述べたような出席者が多いと言う私の感覚は,もしかするとみなさんとは異なるかもしれませんがその場合はご容赦ください。

 それ以上に伝えたいことは,厄介な出席者も多くは元々厄介な人というわけではなく,会議の中で感情的になることで厄介な面が現れてくるということです。さらには,感情的になる原因の1つが自分の意見が通らないことであることを考えると,2つ目の持ち物をしっかりと持ち続けることで他者の意見を多少なりとも尊重できるようになり,自らの「厄介指数」が上がっていくことをある程度防げるのではないかということです。

 

 逆に言うと,賢くても,地位があっても,人に見られていても,厄介指数が上がる時は上がってしまいます。参考資料として私の過去のツイートを載せておきます。

 

 

 

 散々偉そうに書いてきましたが,国会でさえこうなり得るという例を見ていただいたように,私も自身をコントロールできずに厄介指数を上昇させてしまうことがよくあります。私の場合はライターの人タイプや本の人タイプになってしまいやすいです。

 誰しもそのようなクセは多かれ少なかれ持っていると思うので,そのことを自覚して,次回こそは最後まで2つの持ち物を手放さないようにしようと心がけることが重要ではないでしょうか。これを本日最後の主張として,このブログを終えたいと思います。

 

 

 長くなりましたが,最後までお付き合いいただいた方本当にありがとうございます。賛否は両論とも欲しいタイプなので,わざわざ読んでくれた人はせっかくなので何かフィードバックしてくれると私が報われます。 

 

 

あとがき

 今回私は「自分の意見」はたくさん書かせていただきましたが,もちろん「自分の意見が正しいとは限らないという考え」も持ち合わせています。つまり,会議に持っていくべき持ち物が2つあるとして,それらがここで提案したものとは限らないと思っています。

 別の意見があるよ!という方はぜひ教えてください。

 言うまでもないですが,その時はこの記事に火をつけたり,水をかけたり,本で殴ったりしないでくださいね。

 

 

 お し ま い ☆